英語屋が伝えたいこと - 「枠組み」を越えるということ

「枠組み」を越えるということ
英語屋は、英語を「教える」ことそのものを目的とはしていません。私たちが本当に届けたいのは、英語ということばを通じて、自分という枠組みを越えていく体験です。
私たちは誰しも、これまで生きてきた環境や文化、言語、コミュニティによって、ものの見方や感じ方がつくられています。家族、学校、職場、社会的な価値観……それらは私たちの「常識」や「当たり前」を形づくってきました。
それ自体は悪いことではありません。私たちが世界と関わり、自分を守りながら生きるために、そうした"枠組み"は必要不可欠なものでもあります。
そこで起こる不都合は、それが "唯一の正しさ" として無意識のうちに固定されてしまうことです。
たとえ同じ日本という国に生きていても、他者の世界の見え方は、自分とは驚くほど違うものです。自分の"当たり前"が他者にとっての"当たり前"ではない。そう気づいたとき、私たちは初めて、自分の内側にあった枠組みに気づき、それを見つめることができるようになります。
この無意識的な枠組みは、自分自身の限界をも決定づけてしまうことがあります。本来の可能性を損ない、「自分には無理だ」と思い込んでしまったり、ごく限られた社会や価値観の中で適応し切れずに、悩みや違和感を抱えたまま生きてしまうこともあります。
言語習得は、自己変革の入り口
英語屋が考える「自己変革」とは、このような自分の無意識的な枠組みに揺らぎをもたらし、それを相対化・包含・拡張していくプロセスです。
そしてその入り口として最も有効なもの一つが、言語習得=英語を学ぶことなのです。
日本語から離れ、まったく異なる言語の構造、表現、価値観に触れたとき、私たちの“あたりまえ”が少しずつ揺らぎ始めます。
たとえば英語は、結果重視。つまり、「誰が・何を・どうしたか」を簡潔に伝えることが基本です。一方で、日本語はプロセス重視。結果に至るまでにどのような背景があり、誰がどんなふうに関わったのかを描写することが優先されます。
どちらが良い・悪いではなく、こうした違いに出会い、それを受け入れようと試みることが、自分の枠組みに気づくきっかけになります。
そこで初めて、自分がこれまで信じてきた価値観や考え方の「立ち位置」が見えてきます。そしてその上で、それらを手放したり、組み替えたり、新たな価値観を加えたりする。そうして自分自身の在り方をアップデートしていくプロセスこそが、変化や発達であると私たちは考えています。
もちろん、自国にいても異なる考え方や文化に触れることはできます。しかし、自国を飛び出してまったく異なる価値観の中に身を置いたり、異国の言語を学んだりすることは、その体験を最も強く実感できる代表的な行為です。
だからこそ英語屋は、そのような気づきと体験を届ける“触媒”として、あなたの旅に関わりたいと願っています。
世界とつながり、自分をひらく
英語を学ぶことは、単なるスキルアップではなく、世界とつながり直すことであり、自分自身の内側を広げていくことでもあります。
より広く、より柔軟な世界を知り、その上で「自分の落ち着きどころ」を見つけていく。英語屋は、そのためのプロセスに、安心して身を委ねられる場所でありたいと願っています。
「英語ができるようになること」だけが目的ではありません。
その先にある、あなたが本当に望む生き方や在り方を拡張していく旅こそが、英語屋の目指すところです。